御聖訓
令和8年(2026年)5月度 御報恩御講拝読御書
秋元御書(あきもとごしょ)
(弘安三年一月二十七日 五十九歳御述作)
器(うつわ)に四(よ)つの失(とが)あり。一(いち)には覆(ふく)と申してうつぶけるなり。又はくつがへす、又は蓋(ふた)をおほふなり。二(に)には漏(ろ)と申して水もるなり。三(さん)には汗(う)と申してけがれたるなり。水(みず)浄(きよ)けれども糞(ふん)の入(い)りたる器の水をば用(もち)ふる事なし。四(し)には雑(ぞう)なり。飯(はん)に或(あるい)は糞、或は石(いし)、或は沙(すな)、或は土(つち)なんどを雑(まじ)へぬれば人食(く)らふ事なし。器は我等(われら)が身心(しんしん)を表(あら)はす。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。
(御書1447頁5行目-8行目)
<通釈>
器に四つの欠陥がある。一つは「覆」といって伏せること。または逆さにする、または蓋を覆うこと。二つは「漏」といって水が漏れること。三つは「汗」といって汚れること。水がきれいでも糞の入った器の水を使うことはできない。四つは「雑」。飯にあるいは糞、あるいは石や砂、土などを混ぜたならば人が食べることはできない。器は私達の身心を表している。私達の心は器のようであり、口も器、耳も器である。



















