体験発表: SNさん  2026年10月

こんにちは、応西方面K班のSNです。 今回体験発表をしてみないかとK講頭からお声がけいただき、全く自信はなかったのですが、今まで信心を続けてきた理由やこれからへの思いをお話しさせていただこうと思います。
 この発表をするにあたり、20才で講頭さんやそのご家族に出会った時から今までのことを色々思い出すことができました。さらに36才で入信し、周囲の信徒さんからかけていただいた言葉やその時の自分の気持ちというたくさんの宝物を堀り出すことができました。私は20才で就職しましたが、そこでK講頭との出会いがありました。さらにその年の夏にはEさんと、Eさんに抱かれた0才のMさんにも出会っています。またその2年後にはやはり 0才のTさんに初対面し、Tさん1才半の夏にはお宅に招かれてベランダで花火大会を見物させていただきましたが、その際ずっとTさんを抱っこしていたので腕が筋肉痛になりました。ほっこりする思い出です。
 この頃K講頭に誘われて2度ほどHに参詣しています。初めてお題目を教わった時は声は出せませんでした。抵抗感があったからです。Y委員長とも仕事上20才でお会いしてよく存じ上げていますが、Y委員長の奥様にお会いした時に実は私は奥様から折伏されています。しかしその時「うちは無宗教なので結構です」ときっぱり断わりました。今思えばとんでもなく失礼なことでした。 その後私は結婚し、2人の娘をもうけますが32才で離婚。まもなく心の調子を崩し職場に行かれなくなりました。K講頭はそんな私を心配してくださり、O寺にお連れくださいました。37才になる前の月にご授戒いただきました。ただ私には思考力も判断力もそして生命力を乏しくなっていたので何が何だかわからない状態ではありました。
 それでも入信まもなく、私は両親にそのことを話しました、母の大反対にあいました。父は私の心が落ち着くのなら隠れキリシタンのように1人でやればよいと言ってくれました。父の言葉は嬉しかったですが、父が母にウソをついてこれからずっと生きていくことにさせるわけにはいかないので、私は私1人がウソをつけばいいと思い「もうやめます。やりません。」と両親に宣言しました。と同時に「絶対にやめない」と心の中で誓いました。
 当時のT講頭さんは、まだ信心らしいことができていない私に「絶対家の人に知られてはだめだよ」と言ってくださいました。私がお寺から離れないようそう言ってくださったと理解しています。その優しさは忘れません。
仕事を休んでいる間、家から近い鎌倉のG寺さんに度々参詣しました。そこで顔見知りになった年配のご婦人信徒さんが「もっとはっきり発音しなさい」と唱題のし方を教えてくださいました。大変ありがたく思いました。
 しばらくして職場復帰でき、さらには心の不調の原因が脳神経外科系の病気から来るものと判明したので治療できることになりました。病名がついたときの晴れやかな気持ちはなんとも不思議な感じでしたが、確かに生きる望みが見えた瞬間でした。
治療のために2回入院しました。2回目の入院では、日蓮大聖人様が立正安国論を奉呈された日である7月16日に処置を受け、そこからメキメキと体調は回復し、再発もなく元気に過ごせています。私が元気になってきた頃娘たちも入信させました。どんな言葉をかけたのか、言った本人は覚えていませんが、中学生や高校生だった2人は一緒にお寺に参詣してくれました。2人とも就職にあたって大きな功徳をいただいています。どちらも平日の唱題行に参詣する意思をもち実行したのちに希望する職場に入ることができました。それぞれができる範囲でお寺参詣につとめ、次女は自ら運転して私たちをお山に連れていってくれるようになり、毎年の法華講講習会と支部登山も最低年1回は、3人そろって参詣できていることが本当にありがたいです。また御会式のためのお花づくりも3人でお手伝いさせていただいています。その前準備として長女はこより作成にも励んでいます。今度も皆でできる限り、身の供養をさせていただけたらと思っています。
 こうして昨年春に、41年勤めた職場を退職して1年半、平日の唱題行にも参詣したり、それまでよりご本尊さまに手を合わせる時間を増やすことができています。
 今まで、何人かの知人に日蓮正宗のことや私の経験などを話しましたが、 話したことがあるといった程度です。その中の2人は法話会や唱題行にお連れしたことがありますが、まだ折伏成就していません、これからも機会あるたびにお寺にお誘いしたいですし、本当に幸せになってほしいと願っています。
 何もわからず入信した私ですが、私がいただいた最大の功徳は生きようとする気持ちを持てたことです。そして十数年かけて私を日蓮正宗に導いてくださったK講頭は命の恩人です。本当にありがとうございます。
 一番辛かった時お寺に参詣している間は「自分は生きてていいんだ」と素直に思えて心が軽くなったあの感情は忘れられません。命を守っていただけたこと、そして無事に定年まで勤められたこと、その中でいい人達との出会いがあって今の仕事につながっていること、全てに感謝し続けてこれからも信心していきます。
 ご静聴ありがとうございました。

体験発表: 「父の臨終について」 YSさん 2026年6月

皆様、こんにちは。私は、応中方面のYSです。
この3月にわたしの父の七回忌を親族で執り行いましたが、本日は、その父の臨終の時の話をさせて頂きます。
短い時間ですが、よろしくお願いします。
父は、62歳で会社を退職したあと、大腸癌や心筋梗塞など何度か大病に見舞われました。
しかし、地道な信心のおかげで、良い先生に恵まれ、元気に暮らすことが出来ておりました。
ですが、92歳になったくらいから、日常での動ぎが悪くなり、介護が必要となってきました。そしてそんな父を、80代の母が、いわゆる、老老介護をするという状況になりました。
私達はコロナ禍でなかなか行くことが出来ませんでした。高齢の母の体力の衰えも考え、父のために高齢者介護施設を探し始めました。
訪問看護師さんが毎日来てくれるようになった頃には、父は寝ていることの多い日々になりました。
ある日、「看護師さんから’下顎呼吸が見られますので心の準備をしてください’と言われた」と母から電話がありました。
「始発であればコロナの三密を回避して行ける」と、翌日の始発電車に飛び乗って埼玉の実家に向かいました。
その時、父は御宝前に置かれた介護ベッドに寝ておりました。呼吸はしておりましたが、たしかな意識はありませんでした。私は、母と交代しながら、父に聞こえるように3時間くらい、唱題をしました。
やがてお昼の時間になり、母が父に「Yちゃんとお昼食べるね」と声をかけ、隣の部屋で食事を二人でとりました。久しぶりに母と孫娘の話など近況を楽しく話して、その後、ベッドをのぞくと父は穏やかに息を引き取りました。私達はすぐ先生を呼びました。
そのあまりに「安らかな死」を目の当たりにされ、毎日来てくださっていた看護師さんも涙ぐんでいらして、本当にありがたく感じました。
父は生前から、母と私達娘が楽しく話しているのをいつもそばで静かに聞いていました。そして、にこにこ嬉しそうにしていました。きっと、今回も、母と娘とが横で話をしている声を聞いて、嬉しそうに安心して息を引き取ったのではと感じました。父は晩年まで、埼玉のS寺という日蓮正宗のお寺の総代をしており、お寺のお仲間の皆様にも大変慕われていましたよ、とご住職様からお聞きし、父はとても幸せな人生を送らせていただいたのだと、ありがたく感じました。
その数年前、やはり信心を常に第一にしてきた義理の父が亡くなった時も、家族に囲まれての臨終の素晴らしい姿が私の心に強く残りました。
二人の父の臨終は、私にとって生きていくうえでのかけがえのない心の拠り所となりました。
話は少し変わりますが、追善供養の大事ということで、最近感じたことがあります。
昨年と一昨年、私の所属するS班婦人部のYKさん、KAさんのお二人が、亡くなられました。
Kさんは長年、水の流れるような信心をされた方でした。またAさんは、常にご自宅の御宝前でたくさんの唱題をあげられた方でした。
お二人が亡くなられた後、Kさんの娘さん,そしてAさんのご主人様と息子さんが、折々で、お塔婆供養され続けていらっしゃるお姿に接し、とても尊いことだなと感じました。
これからも、わたし自身、回向の気持ちを忘れず、精進して参ります。
ご清聴、ありがとうございました。 以上

体験発表 2026年4月

2026年4月御講体験発表 応西方面 KM

皆さん、こんにちは!私は応西方面のKMと申します。昨年の秋に創価学会を退会し、日蓮正宗の法華講員となり、なぜ法華講員となったのか!また法華講員として感じたことを活動体験として話させて頂きたいと思います。
昭和41年11月11日、5才の時、千葉県の一月寺で創価学会に、母と弟と共に創価学会に入会しました。以来、創価学会員として信心してきました。学会の青年部の時に縁あって結婚をし、その後諸般の事情で離婚をし、現在は単身住まいです。元妻がS班長であり、長女が青年部のMMさん、長男がSS君です。(ご参考までに、3月16日付の「大自法」に長女の「父への折伏」の体験が掲載されていましたが、その父が私です。)
離婚後も弟の生活支援の件で、Sさんと連携を取っていました。Sさんに「なぜそんなに弟に尽くしてくれるのか?」と聞いた時、今は亡き私の父がSさんに「バカ息子の面倒をよろしく頼む」との言葉を遺言のように感じていたとのこと。Sさんの真心には感謝していました。
離婚した数年後、T班長の折伏で、Sさんが創価学会を退会し、日蓮正宗に入ったという話を聞きました。その後Sさんから「学会に居たら幸せになれない」「学会の信心は宗門から離れる前は功徳でも、離れた後は謗法・罰になる」と、何度も創価学会を辞めて日蓮正気に入るようにと折伏を受けていました。しかし、その時は、全く聞く耳を持ちませんでした。
その後Sさんから、長女・長男・私の弟が相次ぎ日蓮正宗に入り、振り返ると家族等の中で私だけが創価学会員でした。さらに、長女と長男・子供達の法華講の青年部としての成長している姿や、職場で活躍している話も聞きました。
折伏を6年間に数十回受けている期間に様々な法事があり、始めは寺院に行くことにすごく抵抗がありましたが、宗派が違うからといって恩ある人・縁ある人の法事に参加しないのというのは違うと決断し、応顕寺に参詣し、御住職様や執事様と縁するようになりました。具体的には、義母(Sさんの母)の葬儀等、私の親の創価学会墓園の墓じまいです。
再には法華講の青年部からの折伏も受けるようになりました。その中で一番心に残っているのは「細かな事はあるかもしれない。でも、根本は(総本山大石寺奉安堂に御安置してある)大御本尊様を信じるか信じないか!です。」という言葉が心にささりました。
次第に子供達からも同時に折伏を受けるようになりました。長女からの「家族で一緒に幸せになろうよ!」との父のこと・幸せを願う真心の叫びを聞いた時、それまで勧誡を拒絶していた命が溶かされました。
私は現在65歳。約60年間の創価学会での信心を振り返ると、確かに信心での訓練を受け人間的に成長したと感じる部分はあります。しかし、折伏を受ける中で、「日蓮大聖人の御本尊は受持の対象としない」「日寬上人の教義を用いないとしているが日寬上人の御本尊を授与している矛盾のニセ御本尊」等、創価学会の信心に不信を感じ始めました。Sさん曰く「学会の信心をしていると皆悪い方向へ向かっている!」と。
最初折伏を拒んでいたのは、学会では日蓮正宗のことを「日顕宗」と呼び宗門は悪であると刷り込まれていたこともあります。
以上の経緯があり、昨年の11月11日には応顕寺にて、日蓮正宗の勧誡と御本尊の授与を受けました。この日は信心を始めてから丁度60年目に当たる日でした。
日蓮正宗法華講員となり感じたことは、
①御本尊の事-大御本尊様が信仰対象の根本であり原点だという事
②法統相続・一家和楽の信心の部分で、子供達の成長の実証を感じた事-子供達が総本山大石寺の任務をしている姿を見た際には、涙があふれる想いでした。
③総本山大石寺の存在です-登山し奉安堂での御開扉を受け、学会本部のビル群や地元会館にはない、信心の源・歴史の重み・命及び心の故郷を感じました。また学会の言っていることはウソっぱちである事も(例えば、桜の木を全部切っているなどです)
④僧俗和合の部分です。学会では「僧俗は悪」と教え込まれてきましたが、決してそんなことはない!という実感です。
⑤勤行・唱題の祈りの深さです。勤行は日蓮正宗では朝は五座、晚は三座。学会では朝も晩も方便品自我偈のみです。五座三座の勤行で命が浄化されていくのを感じます。
(五座三座はまさに仏道修行。引き題目というのをすっかりと忘れていました。)
などが、法華講員として感じた部分です。
学会員の時と法華講員となった今を比べると、詳細は割愛しますが、良い方向に向かっていると実感しています。具体的には、
①信心の事-一生成仏・広宣流布に向かって、正しい信心に戻ってきた!という確信があります。
②仕事の事-仕事は現在、警備員をしています。折伏を受けている期間、良い環境の現場に恵まれ、会社や職場から全幅の信頼を得ています。
③生活の事-学会時代には約700万円の給料未払い等があり、良い様に見えても又悪い方向に戻るという繰り返しでした。生活の収入面でも厳しい状態が続きましたが、現在はまだまだ厳しい部分もありますが、改善の方向に向かっています。御書の御文に、
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影ななめなり」とあります。振り返ると正にその通りでした。
本年「団結竹動の年」御法主日如上人猊下は3月号の「妙教」の中で、「断固、決然として破邪顕正の大折伏戦を展開し、妙法広布に励むことが、最も肝要であります」と御指南してくださっています。
本日の体験発表に向けて、私も新たに決意し折伏の歩みをスタートしました。月曜日から土曜日が仕事の為、実質日曜日しか折伏に動けません。今はS班長の車で子供達と共に、法華講の同志として折伏に回っています。また何か皆様のお手伝いもできることがあれば、できる範囲でさせて頂きたいと思っています。今よりはまた新たな決意で、折伏に挑戦して参ります。
本日は体験をお聞き頂き、大変にありがとうございました。共に折伏、頑張りましょう! (以上)

体験発表 2026年(令和8年)

初御講体験発表 応南方面 YK

 本日は体験発表の機会をいただき、ありがとうございます。
応南方面のYKと申します。
 約1年前、令和6年12月29日いつもと変わらない1日が始まりました。 仕事のため、駅まで原付バイクで移動中、違和感を数秒感じた後、道路に叩きつけられました。何が起こったのかわからないうちに、通行人の方々が私を歩道に運び、警察や救急車を呼んで下さいました。後日、医師より聞いた話しでは、運転中にヘルメットの中で、 動脈瘤破裂(どうみゃくりゅうはれつ)によるクモ膜下出血を起こしていたということでした。幸いバイクが二次災害を起こすことなく済んだことにも感謝しました。
 すぐに横浜市民病院に運ばれ、年末にも関わらず、脳血管内治療科(のうけっかんないじりょうか)の専門医が在勤しており、ステージ4(ふぉー)の酷(ひど)さでした。お寺様には主人が連絡してくれ、 当病平癒(とうびょうへいゆ)のご祈念をして下さいました。
 主治医から家族への説明は「手術は成功しましたが、いつ合併症が起こるかわからない。脳のダメージは大きいので、脳を刺激して下さい」と言われ、都合がつく限り夫も子ども達も来てくれたのですが、私の記憶では家族が来てくれ、話をした事を全く覚えていませんでした。
 毎日、高熱が続き、原因がわからず、治療に必要な大事な薬を一つ止(や) めることで結果的に熱が下がったということでした。自分で覚えている意識が戻ったのは、二週間くらいしてからです。
 私の場合、言語障害もなく、麻痺もありませんでしたが、右半身は重く感じ、 疲れやすい身体となりました。今まで普通にできていたことができなくなりました。入院中、母が亡くなり、その話しを聞いても不思議な事に涙は出ませんでした。葬儀は日蓮正宗で執(と)り行っていただきました。すると、その日から吐くことがなくなり、出来ることが増えました。母は私の回復を待ってくれていたのだと思いました。
 脳のダメージで文字を書けなくなった所から、数か月後にはパートですがケアマネに戻れています。車の免許も一つずつクリアをし、更新することもできました。本当に感謝です。
 死んだ脳は生まれかわりません。他の部分の脳が頑張って働いてくれています。今は疲れるくらいは仕方ないかと思えるようになりました。これも体験からの成長です。
 私は福子で日蓮正宗にご縁させていただきました。この場をお借りして、こ祈念して下さっていたご住職様をはじめ、同志の方々、毎日支えてくれた家族に言わせて下さい。本当にありがとうございました。
 主治医からは、毎回 『奇跡』と言われました。生かされた命です。何かお役にたてれることがあったら言って下さい。
 本日は、ありがとうございました。

体験発表 2025年~

K1班 M.K. さん (2025年12月)

応中方面のK.です。本日の御報恩御講で体験発表をさせて頂けることを大変感謝申しあげます。どうか宜しくお願いします。
私は、今頃思うのですが、20代後半の私の状態は「自我偈(じがげ)」の経文の最後の方に説かれている「放逸著五(ほういつじゃくご)欲(よく)。堕於(だお)悪(あく)道中(どうちゅう)」、音読すると(放逸にして五欲に著(じゃく)し。悪道の中に堕(お)ちなん)の状態でした。30歳になり、さる方からの勧めで今の妻の久子と「見合い結婚」をしました。その時から、日蓮正宗の信者になりました。今から45年前の事です。当時は地方での出張仕事が多く、帰宅している時や休みの時しかお寺に参詣出来ませんでした。当時は池袋の法道院へ参詣していて、本堂で大きな声で唱題をする大勢の人や階段下横にあった喫茶店で待ち合わせして御受戒を受ける人々と折伏教化親の人々で一杯(いっぱい)でした。また、H.の知り合いの千葉の信者さんが「折伏頑張ろうね!」と背中を押してくれる姿も見ていました。本堂での唱題のパワーには圧倒されたものでした。パワーと言えば、大口の家では唱題会が開かれることが多く、Y.S.副講頭のご両親のE.S.さん、K.さん、G.婦人部長のご両親のT.S.さん、T.さん、H.T.さん、H.A.さん、A.さん等の大勢が参加して家の表の通りに溢(あふ)れるような大きな声で唱題をしていて、皆、活気に満ちていました。自分は帰宅した時に参加するんですが、正座で足がしびれ、早く終わってくれないかなと思いながら唱題をしていました。また、目をつぶって唱題をしていたところ、S.さんが「邪宗にいた害毒が強い」からだよと教えてくれました。義理の父のK.K.さんは人寄せが好きで、年に数回、信者さん達を家に招いて、義理の母のK.さんの造った食事で食事会やカラオケ大会を開き、信者さん同士の絆を強くしようとしていました。また、私の会社での上司からのパワーハラスメントや仕事による地元住民とのトラブルを話したりすると、私のために、御本尊様に向かって、K.K.さんと勝子さんは何時間も唱題をしてくれました。私も唱題をすると、だんだん心が穏やかになって行き、他人に対する慈悲の心が増して来たような気がして、何ものにも粉動(ふんどう)されない、信心に対する矜持を持つことが出来たのです。「信心を一生懸命やろう、折伏をやってみたいな」と心に決めたのです。そして、応顕寺が建立されて、法道院から応顕寺へ移籍になるのですが、まもなく、横浜市緑区霧が丘に法運寺が建立され、応顕寺の講員の人達の約半分が移って行きました。応顕寺は500名くらいになりましたが、F.御住職、T.講頭のもと、皆が折伏に燃えて講員を増やして行きました、折伏のことで、私の記憶で印象に残っているのは、E.S.、K.さんご夫妻が君子さんのつてで知り合った大口に住む人を折伏したいから、私に「その人の家の蛍光灯の蛍光管を取り替えて家中を明るくしてくれないか」と頼まれて、行ったことが有ります。たまたま、蛍光管を沢山持っていたので引き受けました。その時は、その方がK.S.さんの話を聞いてくれて、折伏が成就し、その人とその眷属の人々5、6名の方が御受戒を受けてくれたと記憶しています。義理の父のK.K.さんは食料品店に来るお客さんを褒めたり冗談を言ったりして、その中からゆっくり下種し、毎年1、2名を折伏していました。T.S.さんから聞いた事があるのですが、眷属の人を含めると百名以上は折伏していたようです。私も発心して母親や、弟、それとご縁があった方を折伏出来ましたが、数の上ではまだ、6名程度です。近所の信者さんの法統相続を手伝った事があります。娘さんとご主人を入信させたい事を聞いていました。娘さんがギックリ腰になった時に「私が良くなるように御本尊様に御祈念してあげるよ」と話をすると、「他人のために御祈念してくれる人が居るんだ!」と感激して御受戒を受けてくれました。ご主人はとうとう最後まで御受戒を受けてくれなくて、亡くなりました。これからも、「祈祷抄(きとうしょう)」にある「白(はく)烏(う)の恩をば黒烏(こくう)に報ずべし」と説かれている如く、折伏に邁進して行く決意です。ご清聴ありがとうございました。

K2班 T.S. さん (2025年10月)

私が夫と結婚したのは昭和48 年にアパートをかりて、1 ヶ月たったころ知らないおばさんたちが来て御本尊様と本を1 万3 千円で買ってくれませんか、これを持っていると本当の幸せが来るのでと言うので、夫にだまって買いました。
夫が仕事から帰って来て、「なんだこの本と巻き物は」と聞いたので、「おばさんたちが二人来てどうしても買って下さいと言うので、買いました」と夫に言ったら「おまえこの本とまき物は創価学会の本だ」と言われだまされたと思いました。
しばらくして夫がいる時に創価学会の人が来て「仏壇にあるご先祖様のものを全部持っていきます」と言ったので夫は「なんでそんなことする」とおこって、「創価学会はみんな人様の物をすてるのか」と創価学会の人とけんかになり「妻がだまされて買った物は全部返すから持って行け」とおこって「お金いらないから二度と来るな」と追い返しました。私は夫にあやまりました。夫は「これからはだまされて買わないように気をつけなさい」と言われ、「創価学会は金もうけのためにやっている」と言っていました。夫は「ほんとうの信心という物は人様の物を捨てたりしない。これからはだまされてあんまり人を信じないように」と言われました。「信じていい人と悪い人がいるから」と夫にしかられました。
しばらくして、夫が平成22 年にがんの病気になり私が先生によばれて「 ご主人は胃のガン)になった」と言われて「ガンの手術が3 日後に行いますので心の準備をして下さい」私は泣いてばかりいられないので夫の手術に立ち合いました。しばらくしてガンがなおったと思ったらガンがてんいして2 回目の手術をしました。こうがん剤の薬が高くてそのうちにお金もそこをついてきて病院に支払うお金もなくなって、私が働いてもこうがん剤が高くて病院の支払いも遅れてきたので病院に借金するようになり、夫は亡くなる前に「ぜったいに創価学会にはだまされるな」と言って平成24 年11 月19 日に亡くなりました。
夫に亡くなってこれから先、生活していくのに病院の借金もあるしネコもお腹すかして泣くし、年金をもらうまではお金がないから兄弟に相談したんだけどみんなバラバラで話になりませんでした。私も生きていくのがいやになり夫のそばに行こうと思ったけど、ネコもいるし私が死んだらネコたちも死んでしまうと思ったらなかなか死にきれませんでした。
いろいろ悩んでいるうちにU.さんが家に来て日連正宗に入ってみないかと、言われ私は「 創価学会と同じでしょ」と言ったのでU.さんが「 学会ははもん (破門)された」と言っていました。 「応顕寺で皆さんが待っているからいっしょに行きましよう」と言ったので夜8 時ごろ応顕寺に行ったら皆さんが10 人ぐらい待っていたと思います。Y.I.様に私は聞きました。大石寺から創価学会が離されたと言ってい
ました。みなさんからいろいろ話を聞いても、あんまりあたまに入りませでした。そうしているうちに「 今から御住職様に来ていただきますので本堂の方に行きましょう」と言われて私がびっくりしたのは立っぱな御本尊様が目に入った時、これがほんとうのすばらしい信心というものかと私の心が動かされました。御住職様の話を聞いて御住職様がご先祖様の写真はすてることはないけど、御本尊様の横に置くことはかまわないとおっしゃったので私も安心しました。
御住職様がご本尊を私にわたして「これを家にもっていって仏壇にあげておいて下さい」と言いました。しばらくしてお題目を上げたら、私の心の中のモヤモヤしたものがなくなりました。本当に御住職様の話を聞いて、私も大石寺に行って見たいと思いました。しばらくして御住職様が家に来て、みなさんも来ていただいて仏壇に御本尊様を下げていただきました。いばらくして新しい仏壇を買うためにK.斑長さんに相談した所、仏壇を紹介していただきました。
斑長さんに家の夫が永久納骨堂に行く時も、応顕寺でたおれた時も、K.斑長さんほんとうにいろいろお世話になりました。ありがとうございます。私は応頭寺に入ってほんとうによかったと思っています。御住職様、K.講頭さん、I.総代さん、これからも体のつづくかぎり応頭寺にお世話になります。
これまで皆様にご迷惑をかけたと思いますので、これからもみなさんと共にがんばっていきたいと思います。よろしくお願いします。

K2班 M.A さん (2025年10月)

私は中学校1、2 年生ぐらいのころ、弟が小学校3、4 年で、亡くなった両親と共に、瀬谷のI.という方のすすめで「希心会」という宗教に入り、厚木にある道場にお経をあげに行っていました。
春と秋との2 回、入った当時は団体専用電車で、白い行衣を着て、厚木の駅から春には千葉県の清澄山( きよすみやま)へ、秋には身延七面山へ行列を作って頂上まで、大きな声でお題目をあげて登っていました。何年かたってからは観光バス6 台か7 台で行っていました。
そうこうして私が50代になったある日、私は気持ちが不安定になり、精神的におかしくなって、分からないうちに病院に入院させられました。病院では夜中に勝手にそうじしていたり、よだれを垂らしながら、帰るしたくをしたりなどの症状があったそうです。
その後、I.が「 毎月買っているものをメモに書いて持ってきてくれ」と言うので、弟と私と二人で瀬谷まで行って見せたら「こんなに買っているのか」「1 ヶ月1500 円か2000 円で生活しろ」と言われ、家まで車で送ってくれたんですけど、落ちついてからI.に電話で「できません」と言うと、「わかった好きにしろ」「その代わり希心会をやめろ」と言われたので、希心会を脱退しました。
そのうち母が亡くなり、しばらくして同じ団地の2 号棟に住む知り合いのS.さんが私の家の仏壇を見てダメだよと、そのおかしさに気づかされました。I.からは生きている希心会会長の写真を上において、下にお位牌をおけと言われていたためかと思いました。
そして、S.さんに日蓮正宗に入ったら?と言われました。私は希心会が嫌だったのですぐ入信を決意し、続いて弟も入信しました。
初めて奉安堂で御開扉をいただいて大御本尊様にお経をあげていたら、涙が出ました。
そのうちの父親はお金を1 銭も残してくれずに亡くなりました。どうしてよいか困って2 号棟にいるS.さんにいろいろ相談し、一緒に区役所に行って「親戚(しんせき)もいないし、これからどうしていいのか分からない」と相談しました。
区役所の人は親がいないので、施設に行くように言われました。でも、私も弟のY.も施設には行きたくないので、S.さんが「どうしても嫌なら、私が保証人になりますから、生活保護を受けるように」と、区役所の人にたのんでくれました。S.さんがいなかったら生活ができなかったと思います。
S.さんと知り合って13 年になります。母親みたいになって、お世話になっています。私もY.も、S.さんに何かあっても、お世話して行くつもりです。
これからも、御本尊様を大切にして、三人で応顕寺に出来るだけ参詣(さんけい)させていただきます。そして、S.さんのように困っている人に、この日蓮正宗の信心をお伝えしたいと思います。
皆様、これからも よろしく おねがいします。__