K2班 M.A さん (2025年10月)
私は中学校1、2 年生ぐらいのころ、弟が小学校3、4 年で、亡くなった両親と共に、瀬谷のI.という方のすすめで「希心会」という宗教に入り、厚木にある道場にお経をあげに行っていました。
春と秋との2 回、入った当時は団体専用電車で、白い行衣を着て、厚木の駅から春には千葉県の清澄山( きよすみやま)へ、秋には身延七面山へ行列を作って頂上まで、大きな声でお題目をあげて登っていました。何年かたってからは観光バス6
台か7 台で行っていました。
そうこうして私が50代になったある日、私は気持ちが不安定になり、精神的におかしくなって、分からないうちに病院に入院させられました。病院では夜中に勝手にそうじしていたり、よだれを垂らしながら、帰るしたくをしたりなどの症状があったそうです。
その後、I.が「 毎月買っているものをメモに書いて持ってきてくれ」と言うので、弟と私と二人で瀬谷まで行って見せたら「こんなに買っているのか」「1
ヶ月1500 円か2000 円で生活しろ」と言われ、家まで車で送ってくれたんですけど、落ちついてからI.に電話で「できません」と言うと、「わかった好きにしろ」「その代わり希心会をやめろ」と言われたので、希心会を脱退しました。
そのうち母が亡くなり、しばらくして同じ団地の2 号棟に住む知り合いのS.さんが私の家の仏壇を見てダメだよと、そのおかしさに気づかされました。I.からは生きている希心会会長の写真を上において、下にお位牌をおけと言われていたためかと思いました。
そして、S.さんに日蓮正宗に入ったら?と言われました。私は希心会が嫌だったのですぐ入信を決意し、続いて弟も入信しました。
初めて奉安堂で御開扉をいただいて大御本尊様にお経をあげていたら、涙が出ました。
そのうちの父親はお金を1 銭も残してくれずに亡くなりました。どうしてよいか困って2 号棟にいるS.さんにいろいろ相談し、一緒に区役所に行って「親戚(しんせき)もいないし、これからどうしていいのか分からない」と相談しました。
区役所の人は親がいないので、施設に行くように言われました。でも、私も弟のY.も施設には行きたくないので、S.さんが「どうしても嫌なら、私が保証人になりますから、生活保護を受けるように」と、区役所の人にたのんでくれました。S.さんがいなかったら生活ができなかったと思います。
S.さんと知り合って13 年になります。母親みたいになって、お世話になっています。私もY.も、S.さんに何かあっても、お世話して行くつもりです。
これからも、御本尊様を大切にして、三人で応顕寺に出来るだけ参詣(さんけい)させていただきます。そして、S.さんのように困っている人に、この日蓮正宗の信心をお伝えしたいと思います。
皆様、これからも よろしく おねがいします。__
体験発表 2025年(令和7年)
K1班 M.K. さん (2025年12月)
応中方面のK.です。本日の御報恩御講で体験発表をさせて頂けることを大変感謝申しあげます。どうか宜しくお願いします。
私は、今頃思うのですが、20代後半の私の状態は「自我偈(じがげ)」の経文の最後の方に説かれている「放逸著五(ほういつじゃくご)欲(よく)。堕於(だお)悪(あく)道中(どうちゅう)」、音読すると(放逸にして五欲に著(じゃく)し。悪道の中に堕(お)ちなん)の状態でした。30歳になり、さる方からの勧めで今の妻の久子と「見合い結婚」をしました。その時から、日蓮正宗の信者になりました。今から45年前の事です。当時は地方での出張仕事が多く、帰宅している時や休みの時しかお寺に参詣出来ませんでした。当時は池袋の法道院へ参詣していて、本堂で大きな声で唱題をする大勢の人や階段下横にあった喫茶店で待ち合わせして御受戒を受ける人々と折伏教化親の人々で一杯(いっぱい)でした。また、H.の知り合いの千葉の信者さんが「折伏頑張ろうね!」と背中を押してくれる姿も見ていました。本堂での唱題のパワーには圧倒されたものでした。パワーと言えば、大口の家では唱題会が開かれることが多く、Y.S.副講頭のご両親のE.S.さん、K.さん、G.婦人部長のご両親のT.S.さん、T.さん、H.T.さん、H.A.さん、A.さん等の大勢が参加して家の表の通りに溢(あふ)れるような大きな声で唱題をしていて、皆、活気に満ちていました。自分は帰宅した時に参加するんですが、正座で足がしびれ、早く終わってくれないかなと思いながら唱題をしていました。また、目をつぶって唱題をしていたところ、S.さんが「邪宗にいた害毒が強い」からだよと教えてくれました。義理の父のK.K.さんは人寄せが好きで、年に数回、信者さん達を家に招いて、義理の母のK.さんの造った食事で食事会やカラオケ大会を開き、信者さん同士の絆を強くしようとしていました。また、私の会社での上司からのパワーハラスメントや仕事による地元住民とのトラブルを話したりすると、私のために、御本尊様に向かって、K.K.さんと勝子さんは何時間も唱題をしてくれました。私も唱題をすると、だんだん心が穏やかになって行き、他人に対する慈悲の心が増して来たような気がして、何ものにも粉動(ふんどう)されない、信心に対する矜持を持つことが出来たのです。「信心を一生懸命やろう、折伏をやってみたいな」と心に決めたのです。そして、応顕寺が建立されて、法道院から応顕寺へ移籍になるのですが、まもなく、横浜市緑区霧が丘に法運寺が建立され、応顕寺の講員の人達の約半分が移って行きました。応顕寺は500名くらいになりましたが、F.御住職、T.講頭のもと、皆が折伏に燃えて講員を増やして行きました、折伏のことで、私の記憶で印象に残っているのは、E.S.、K.さんご夫妻が君子さんのつてで知り合った大口に住む人を折伏したいから、私に「その人の家の蛍光灯の蛍光管を取り替えて家中を明るくしてくれないか」と頼まれて、行ったことが有ります。たまたま、蛍光管を沢山持っていたので引き受けました。その時は、その方がK.S.さんの話を聞いてくれて、折伏が成就し、その人とその眷属の人々5、6名の方が御受戒を受けてくれたと記憶しています。義理の父のK.K.さんは食料品店に来るお客さんを褒めたり冗談を言ったりして、その中からゆっくり下種し、毎年1、2名を折伏していました。T.S.さんから聞いた事があるのですが、眷属の人を含めると百名以上は折伏していたようです。私も発心して母親や、弟、それとご縁があった方を折伏出来ましたが、数の上ではまだ、6名程度です。近所の信者さんの法統相続を手伝った事があります。娘さんとご主人を入信させたい事を聞いていました。娘さんがギックリ腰になった時に「私が良くなるように御本尊様に御祈念してあげるよ」と話をすると、「他人のために御祈念してくれる人が居るんだ!」と感激して御受戒を受けてくれました。ご主人はとうとう最後まで御受戒を受けてくれなくて、亡くなりました。これからも、「祈祷抄(きとうしょう)」にある「白(はく)烏(う)の恩をば黒烏(こくう)に報ずべし」と説かれている如く、折伏に邁進して行く決意です。ご清聴ありがとうございました。
K2班 T.S. さん (2025年10月)
私が夫と結婚したのは昭和48 年にアパートをかりて、1 ヶ月たったころ知らないおばさんたちが来て御本尊様と本を1 万3 千円で買ってくれませんか、これを持っていると本当の幸せが来るのでと言うので、夫にだまって買いました。
夫が仕事から帰って来て、「なんだこの本と巻き物は」と聞いたので、「おばさんたちが二人来てどうしても買って下さいと言うので、買いました」と夫に言ったら「おまえこの本とまき物は創価学会の本だ」と言われだまされたと思いました。
しばらくして夫がいる時に創価学会の人が来て「仏壇にあるご先祖様のものを全部持っていきます」と言ったので夫は「なんでそんなことする」とおこって、「創価学会はみんな人様の物をすてるのか」と創価学会の人とけんかになり「妻がだまされて買った物は全部返すから持って行け」とおこって「お金いらないから二度と来るな」と追い返しました。私は夫にあやまりました。夫は「これからはだまされて買わないように気をつけなさい」と言われ、「創価学会は金もうけのためにやっている」と言っていました。夫は「ほんとうの信心という物は人様の物を捨てたりしない。これからはだまされてあんまり人を信じないように」と言われました。「信じていい人と悪い人がいるから」と夫にしかられました。
しばらくして、夫が平成22 年にがんの病気になり私が先生によばれて「 ご主人は胃のガン)になった」と言われて「ガンの手術が3 日後に行いますので心の準備をして下さい」私は泣いてばかりいられないので夫の手術に立ち合いました。しばらくしてガンがなおったと思ったらガンがてんいして2
回目の手術をしました。こうがん剤の薬が高くてそのうちにお金もそこをついてきて病院に支払うお金もなくなって、私が働いてもこうがん剤が高くて病院の支払いも遅れてきたので病院に借金するようになり、夫は亡くなる前に「ぜったいに創価学会にはだまされるな」と言って平成24
年11 月19 日に亡くなりました。
夫に亡くなってこれから先、生活していくのに病院の借金もあるしネコもお腹すかして泣くし、年金をもらうまではお金がないから兄弟に相談したんだけどみんなバラバラで話になりませんでした。私も生きていくのがいやになり夫のそばに行こうと思ったけど、ネコもいるし私が死んだらネコたちも死んでしまうと思ったらなかなか死にきれませんでした。
いろいろ悩んでいるうちにU.さんが家に来て日連正宗に入ってみないかと、言われ私は「 創価学会と同じでしょ」と言ったのでU.さんが「 学会ははもん
(破門)された」と言っていました。 「応顕寺で皆さんが待っているからいっしょに行きましよう」と言ったので夜8 時ごろ応顕寺に行ったら皆さんが10
人ぐらい待っていたと思います。Y.I.様に私は聞きました。大石寺から創価学会が離されたと言ってい
ました。みなさんからいろいろ話を聞いても、あんまりあたまに入りませでした。そうしているうちに「 今から御住職様に来ていただきますので本堂の方に行きましょう」と言われて私がびっくりしたのは立っぱな御本尊様が目に入った時、これがほんとうのすばらしい信心というものかと私の心が動かされました。御住職様の話を聞いて御住職様がご先祖様の写真はすてることはないけど、御本尊様の横に置くことはかまわないとおっしゃったので私も安心しました。
御住職様がご本尊を私にわたして「これを家にもっていって仏壇にあげておいて下さい」と言いました。しばらくしてお題目を上げたら、私の心の中のモヤモヤしたものがなくなりました。本当に御住職様の話を聞いて、私も大石寺に行って見たいと思いました。しばらくして御住職様が家に来て、みなさんも来ていただいて仏壇に御本尊様を下げていただきました。いばらくして新しい仏壇を買うためにK.斑長さんに相談した所、仏壇を紹介していただきました。
斑長さんに家の夫が永久納骨堂に行く時も、応顕寺でたおれた時も、K.斑長さんほんとうにいろいろお世話になりました。ありがとうございます。私は応頭寺に入ってほんとうによかったと思っています。御住職様、K.講頭さん、I.総代さん、これからも体のつづくかぎり応頭寺にお世話になります。
これまで皆様にご迷惑をかけたと思いますので、これからもみなさんと共にがんばっていきたいと思います。よろしくお願いします。