御聖訓 令和5年 12月度

法華題目抄(ほっけだいもくしょう)
文永三年一月六日(四十五歳御述作)

 この経に値(あ)ひたてまつる事をば、三千年に一度花さく優曇華(うどんげ)、無量無辺劫(むりょうむへんごう)に一度値ふなる一眼(いちげん)の亀にもたとへたり。大地の上に針を立てゝ、大梵天王宮(だいぼんてんのうぐう)より芥子(けし)をな(投)ぐるに、針のさきに芥子のつら(貫)ぬかれたるよりも、法華経の題目に値ふことはかたし。此の須弥山(しゅみせん)に針を立てゝ、かの須弥山より大風(たいふう)つよく吹く日、いと(糸)をわたさんに、いた(至)りてはり(針)の穴にいとのさき(先)のいりたらんよりも、法華経の題目に値ひ奉(たてまつ)る事はかたし。さればこの教の題目をとなえさせ給(たま)はんにはをぼしめすべし。

(御書355頁2行目-6行目)

御聖訓 令和5年 11月度

高橋入道殿御返事(たかはしにゅうどうどのごへんじ)
建治元年七月十二日(五十四歳御述作)

 末法(まっぽう)に入(い)りなば、迦葉(かしょう)・阿難(あなん)等(とう)、文殊(もんじゅ)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)等、薬王(やくおう)・観音(かんのん)等のゆづられしところの小乗教(しょうじょうきょう)・大乗教(だいじょうきょう)並(なら)びに法華経は、文字(もんじ)はありとも衆生の病(やまい)の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)出現して妙法蓮華経の五字(ごじ)を一閻浮提(いちえんぶだい)の一切衆生にさづくべし。

(御書887頁5行目-7行目)

御聖訓 令和5年 10月度

佐渡御書(さどごしょ)
文永九年三月二十日(五十一歳御述作)

 悪王(あくおう)の正法(しょうぼう)を破(やぶ)るに、邪法(じゃほう)の僧(そう)等(ら)が方人(かたうど)をなして智者(ちしゃ)を失(うしな)はん時は、師子王(ししおう)の如(ごと)くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例(れい)せば日蓮が如し。これおご(驕)れるにはあらず、正法を惜(お)しむ心の強盛(ごうじょう)なるべし。おご(驕)る者は必ず強敵(ごうてき)に値(あ)ひておそるゝ心出来(しゅったい)するなり。例せば修羅(しゅら)のおごり、帝釈(たいしゃく)にせ(攻)められて、無熱池(むねっち)の蓮(はちす)の中に小身(しょうしん)と成りて隠(かく)れしが如し。正法は一字一句(いちじいっく)なれども時機(じき)に叶(かな)ひぬれば必ず得道(とくどう)な(成)るべし。千経万論(せんぎょうばんろん)を習学(しゅうがく)すれども時機に相違(そうい)すれば叶ふべからず。

(御書579頁7行目-11行目)

御聖訓 令和5年 9月度

四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)
弘安元年閏十月二十二日(五十七歳御述作)

 李広(りこう)将軍と申せしつはものは、虎に母を食(く)らはれて虎に似(に)たる石を射(い)しかば、其(そ)の矢、羽ぶくらまでせめぬ。後(のち)に石と見ては立つ事なし。後には石虎(せっこ)将軍と申しき。貴辺(きへん)も又(また)かくのごとく、敵(かたき)はねら(狙)ふらめども法華経の御信心強盛(ごうじょう)なれば大難(だいなん)もかねて消え候(そうろう)か。是(これ)につけても能(よ)く能く御信心あるべし。

(御書1292頁7行目-10行目)

御聖訓 令和5年 8月度

四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)
弘安三年十月八日(五十九歳御述作)

 水あれば魚(うお)すむ、林あれば鳥来(きた)る、蓬萊山(ほうらいさん)には玉(たま)多く、摩黎山(まりせん)には栴檀(せんだん)生ず。麗水(れいすい)の山には金(こがね)あり。今此(こ)の所も此(か)くの如(ごと)し。仏菩薩(ぶつぼさつ)の住み給ふ功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり。多くの月日を送り、読誦(どくじゅ)し奉(たてまつ)る所の法華経の功徳は虚空(こくう)にも余りぬべし。然(しか)るを毎年(まいねん)度々(たびたび)の御参詣には、無始(むし)の罪障(ざいしょう)も定めて今生一世(こんじょういっせ)に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし、はげむべし。

(御書1502頁2行目-5行目)

御聖訓 令和5年 7月度

聖愚問答抄(しょうぐもんどうしょう)
文永五年 (四十七歳御述作)

 人の心は水の器(うつわ)にしたがふが如(ごと)く、物の性(しょう)は月の波に動くに似たり。故(ゆえ)に汝(なんじ)当座(とうざ)は信ずといふとも後日(ごじつ)は必ず翻(ひるが)へさん。魔(ま)来たり鬼(き)来たるとも騒乱(そうらん)する事なかれ。夫(それ)天魔(てんま)は仏法をにくむ、外道(げどう)は内道(ないどう)をきらふ。されば猪(い)の金山(こんぜん)を摺(す)り、衆流(しゅる)の海に入(い)り、薪(たきぎ)の火を盛(さか)んになし、風の求羅(ぐら)をます(増)が如くせば、豈(あに)好(よ)き事にあらずや。

(御書409頁1行目-4行目)

御聖訓 令和5年 6月度

教行証御書(きょうぎょうしょうごしょ)
建治三年三月二十一日 (五十六歳御述作)

 今末法(まっぽう)に入(い)っては教(きょう)のみ有って行証(ぎょうしょう)無く在世結縁(ざいせけちえん)の者一人(いちにん)も無し。権実(ごんじつ)の二機(にき)悉(ことごと)く失(う)せり。此の時(とき)は濁悪(じょくあく)たる当世(とうせい)の逆謗(ぎゃくぼう)の二人(ににん)に、初めて本門(ほんもん)の肝心(かんじん)寿量品(じゅりょうほん)の南無妙法蓮華経を以(もっ)て下種(げしゅ)と為(な)す。「是の好(よ)き良薬(ろうやく)を今留(とど)めて此(ここ)に在(お)く。汝(なんじ)取って服(ふく)すべし。差(い)えじと憂(うれ)ふること勿(なか)れ」とは是なり。

(御書1103頁13行目-1104頁3行目)

御聖訓 令和5年 5月度

諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)
文永十年五月十七日 (五十二歳御述作)

 いかにも今度(こんど)信心(しんじん)をいたして法華経の行者にてとを(通)り、日蓮が一門(いちもん)とな(成)りとをし給ふべし。日蓮と同意(どうい)ならば地涌(じゆ)の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだ(定)まりなば釈尊(しゃくそん)久遠(くおん)の弟子(でし)たる事あに疑はんや。経に云はく「我久遠より来(このかた)是等の衆(しゅ)を教化(きょうけ)す」とは是なり。末法(まっぽう)にして妙法蓮華経の五字を弘(ひろ)めん者は男女(なんにょ)はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非(あら)ずんば唱(とな)へがたき題目なり。

(御書666頁14行目-17行目)

御聖訓 令和5年 4月度

四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)
建治二年六月二十七日 (五十五歳御述作)

 一切衆生(いっさいしゅじょう)、南無妙法蓮華経と唱(とな)ふるより外(ほか)の遊楽(ゆうらく)なきなり。経に云はく「衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)」云云。此の文(もん)あに自受法楽(じじゅほうらく)にあらずや。衆生のうちに貴殿(きでん)もれ給ふべきや。所(しょ)とは一閻浮提(いちえんぶだい)なり。日本国(にほんごく)は閻浮提の内なり。遊楽とは我等が色心依正(しきしんえしょう)ともに一念三千自受用身(いちねんさんぜんじじゅゆうしん)の仏(ほとけ)にあらずや。法華経を持(たも)ち奉るより外に遊楽はなし。現世安穏・後生善処(げんぜあんのんごしょうぜんしょ)とは是なり。

(御書991頁6行目-9行目)

御聖訓 令和5年 3月度

諸経と法華経と難易(なんい)の事(こと)
弘安三年五月二十六日 (五十九歳御述作)

 弘法(こうぼう)・慈覚(じかく)・智証(ちしょう)の御義(おんぎ)を本(もと)としける程(ほど)に、此の義すでに日本国(にほんごく)に隠没(おんもつ)して四百余年(しひゃくよねん)なり。珠(たま)をもって石(いし)にかへ、栴檀(せんだん)を凡木(ぼんぼく)にうれり。仏法やうやく顚倒(てんどう)しければ世間も又(また)濁乱(じょくらん)せり。仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲(ま)がれば影なゝめなり。幸(さいわ)ひなるは我(わ)が一門(いちもん)、仏意(ぶっち)に随(したが)って自然(じねん)に薩般若海(さばにゃかい)に流入(るにゅう)す。苦(くる)しきは世間の学者、随他意(ずいたい)を信じて苦海(くかい)に沈(しず)まん。

(御書1469頁8行目-11行目)

御聖訓 令和5年 2月度

持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう)
弘長三年(四十二歳御述作)

 只(ただ)須(すべから)く汝(なんじ)仏にならんと思はゞ、慢(まん)のはた(幢)ほこをたをし、忿(いか)りの杖(つえ)をすてゝ偏(ひとえ)に一乗(いちじょう)に帰(き)すべし。名聞名利(みょうもんみょうり)は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生(ごしょう)のほだ(紲)しなり。嗚呼(ああ)、恥(は)づべし恥づべし、恐(おそ)るべし恐るべし。

(御書296頁1行目-3行目)

御聖訓 令和5年 1月度

大悪大善御書(だいあくだいぜんごしょ)
文永十二年 (五十四歳御述作)

 大事(だいじ)には小瑞(しょうずい)なし、大悪(だいあく)をこ(興)れば大善(だいぜん)きたる。すでに大謗法(だいほうぼう)国にあり、大正法(だいしょうぼう)必ずひろまるべし。各々(おのおの)なにをかなげ(嘆)かせ給(たま)ふべき。迦葉尊者(かしょうそんじゃ)にあらずとも、まい(舞)をもまい(舞)ぬべし。舎利弗(しゃりほつ)にあらねども、立ちてをど(踊)りぬべし。上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)の大地(だいち)よりい(出)で給ひしには、をど(踊)りてこそい(出)で給ひしか。普賢菩薩(ふげんぼさつ)の来たるには、大地を六種(ろくしゅ)にうご(動)かせり。

(御書796頁5行目-8行目)