日蓮正宗 慈含山 応顕寺
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御聖訓
令和7年(2025年)5月度 御報恩御講拝読御書
椎地四郎殿御書(しいじしろうどのごしょ)
(弘安四年四月二十八日 六十歳御述作)
法華経の法門を一文一句(いちもんいっく)なりとも人(ひと)にかたらんは過去の宿縁(しゅくえん)ふかしとおぼしめすべし。経に云(い)はく「亦(また)正法(しょうぼう)を聞かず是(か)くの如(ごと)き人は度(ど)し難(がた)し」云云。此の文(もん)の意(こころ)は正法とは法華経なり。此の経をきかざる人は度しがたしと云ふ文なり。法師品(ほっしほん)には「若是(にゃくぜ)善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)乃至(ないし)即如来使(そくにょらいし)」と説(と)かせ給(たま)ひて、僧(そう)も俗(ぞく)も尼(あま)も女(おんな)も一句(いっく)をも人にかたらん人は如来の使(つか)ひと見(み)えたり。
(御書1555頁7行目-10行目)
<通釈>
法華経の法門を一文一句でも人に語ることは、過去の宿縁が深いと思うべきである。法華経方便品には「正法を聞かない、このような人は済度し難い」と説かれている。この経文の意味は、正法とは法華経であり、この法華経を聞かない人は救うことが難しいという文である。法師品には「若是善男子善女人乃至則如来使」と説かれて、僧も俗も、尼も女性も、法華経の一句でも人に語る人は如来の使いであると示されている。