御聖訓 令和6年4月度

諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)
弘安三年十二月(五十九歳御述作)

 今日蓮は去(い)ぬる建長(けんちょう)五年癸丑四月廿八日より、今弘安(こうあん)三年庚辰太歳十二月にいたるまで二十八年が間(あいだ)又(また)他事(たじ)なし。只(ただ)妙法蓮華経の七字五字(しちじごじ)を日本国の一切衆生(いっさいしゅじょう)の口に入れんとはげむ計(ばか)りなり。此(これ)即(すなわ)ち母の赤子(あかご)の口に乳(ちち)を入れんとはげむ慈悲(じひ)なり。

(御書1539頁8行目-10行目)

御聖訓 令和6年3月度

阿仏房御書(あぶつぼうごしょ)
文永十二年三月十三日(五十四歳御述作)

 末法(まっぽう)に入(い)って法華経を持(たも)つ男女(なんにょ)のすがたより外(ほか)には宝塔(ほうとう)なきなり。若(も)し然(しか)れば貴賤上下(きせんじょうげ)をえらばず、南無妙法蓮華経ととなふるものは、我(わ)が身宝塔にして、我が身又(また)多宝如来(たほうにょらい)なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり。今阿仏上人(しょうにん)の一身(いっしん)は地水火風空(ちすいかふうくう)の五大(ごだい)なり、此の五大は題目の五字なり。然(さ)れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外(ほか)の才覚(さいかく)無益(むやく)なり。聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・慚(ざん)の七宝(しっぽう)を以(もっ)てかざりたる宝塔なり。

(御書792頁13行目-793頁2行目)

御聖訓 令和6年2月度

唱法華題目抄(しょうほっけだいもくしょう)
文応元年五月二十八日(三十九歳御述作)

 末代(まつだい)には善(ぜん)無き者は多く善有る者は少なし。故(ゆえ)に悪道(あくどう)に堕(だ)せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強(し)ひて説き聞かせて毒鼓(どっく)の縁(えん)と成すべきか。然(しか)れば法華経を説いて謗縁(ぼうえん)を結ぶべき時節(じせつ)なる事諍(あらそ)ひ無き者をや。

(御書231頁9行目-11行目)

御聖訓 令和6年1月度

経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)
文永十年八月十五日(五十二歳御述作)

 日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽(みょうらく)云(い)はく「顕本遠寿(けんぽんおんじゅ)を以て其の命(いのち)と為す」と釈(しゃく)し給ふ。経王御前(きょうおうごぜん)にはわざはひも転じて幸(さいわ)ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就(じょうじゅ)せざるべき。「充満其願(じゅうまんごがん)、如清涼池(にょしょうりょうち)」「現世安穏(げんぜあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)」疑ひなからん。

(御書685頁14行目-686頁1行目)