御聖訓
令和8年(2026年)4月度 御報恩御講拝読御書
曾谷入道殿許御書(そやにゅうどうどのもとごしょ)
(文永十二年三月十日、五十四歳御述作)
仏の滅後(めつご)に於て三時(さんじ)有り。正像(しょうぞう)二千余年(にせんよねん)には猶(なお)下種(げしゅ)の者有り。例(れい)せば在世(ざいせ)四十余年(しじゅうよねん)の如し。根機(こんき)を知らずんば左右(そう)無く実教(じっきょう)を与(あた)ふべからず。今は既に末法に入(い)って、在世の結縁(けちえん)の者は漸々(ぜんぜん)に衰微(すいび)して、権実(ごんじつ)の二機(にき)皆(みな)悉(ことごと)く尽きぬ。彼(か)の不軽菩薩(ふきょうぼさつ)、末世(まっせ)に出現して毒鼓(どっく)を撃(う)たしむるの時なり。
(御書778頁15行目-17行目)
<通釈>
仏の滅後に三時ある。正法・像法の二千余年には(過去世に)下種を受けた者がいた。たとえば在世四十余年(の衆生)のようなものである。衆生の機根を考えないで、むやみに実教を与えてはならない。今はすでに末法時代に入り、釈尊在世に結縁した者は次第に少なくなり、権実の二機の衆生は悉くいなくなった。彼の不軽菩薩が、末法に出現し毒鼓を撃つ時である。















