御聖訓
令和8年(2026年)2月度 御報恩御講拝読御書
弁殿尼御前御書(べんどのあまごぜんごしょ)
(文永十年九月十九日、五十二歳御述作)
第六天(だいろくてん)の魔王(まおう)、十軍(じゅうぐん)のいくさをを(起)こして、法華経の行者(ぎょうじゃ)と生死海(しょうじかい)の海中(かいちゅう)にして、同居穢土(どうごえど)をと(取)られじ、うば(奪)はんとあらそう。日蓮其(そ)の身にあひあ(当)たりて、大兵(だいひょう)をを(起)こして二十余年(にじゅうよねん)なり。日蓮一度もしり(退)ぞく心なし。しかりといえども弟子(でし)等・檀那(だんな)等の中に臆病(おくびょう)のもの、大体(だいたい)或(あるい)はを(堕)ち、或は退転(たいてん)の心あり。尼ごぜんの一文不通(いちもんふつう)の小心(しょうしん)に、いまゝでしり(退)ぞかせ給はぬ事申すばかりなし。
(御書686頁8行目-11行目)
<通釈>
第六天の魔王は、十種の魔軍を起こして、法華経の行者と生死海の海中にあって、凡聖同居の穢土をとられまい、奪おうと争っている。日蓮は法華経の行者として、大兵を起こして戦うこと二十余年である。日蓮は一度も退く心はない。しかし弟子等・檀那等の中で臆病の者は、大方ある者は退き、ある者は退転の心がある。尼御前が一文不通の心弱い身でありながら、今まで退転しなかったことは、言い尽くせないほど立派である。







