御聖訓2018年11月

平成30年11月度 御報恩御講

兄弟抄

此(こ)の法門(ほうもん)を申すには必ず魔(ま)出来(しゅったい)すべし。魔競(きそ)はずば正法と知るべからず。第五の巻(まき)に云(い)はく「行解(ぎょうげ)既(すで)に勤めぬれば三障四魔(さんしょうしま)紛然(ふんぜん)として競(きそ)ひ起こる、乃至随(したが)ふべからず畏(おそ)るべからず。之(これ)に随(したが)へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之(これ)を畏(おそ)れば正法を修することを妨(さまた)ぐ」等云々。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家(もんけ)の明鏡(めいきょう)なり。謹(つつし)んで習ひ伝へて未来の資糧(しりょう)とせよ

(平成新編御書 986頁、建治二年卯月 日 五十五歳 御述作)

 この法門を申すならば、必ず魔が起こってくる。よって魔が競わなければ、この法門が正法と知ることはできない。天台大師の『摩訶止観』の第五巻には「修行と了解に勤めると、三障四魔が入り乱れるように競い起こる。乃至、随ってはならないし、畏れてもならない。これらに随えば人を悪道に向かわせることになる、これらを畏れれば正法を修行することを妨げる」等とある。この解釈は、日蓮の身に当たるのみならず、日蓮門家の明鏡でもある。謹んで習い伝えて、一門未来への資糧としなさい。

*行解:行は修行、解とは悟ること。
**三障:仏道修行を妨げる三種類の障害で、煩悩障、業障、報障のこと。
***四魔:修行の障害となる四つの魔で、煩悩魔、陰魔、死魔、天子魔。