令和元年6月度 御報恩御講
開目抄(かいもくしょう)
我(われ)並びに我(わ)が弟子(でし)、諸難(しょなん)ありとも疑(うたが)ふ心なくば、自然(じねん)に仏界にいたるべし。天(てん)の加護(かご)なき事を疑はざれ。現世(げんせ)の安穏(あんのん)ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕(ちょうせき)教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするゝなるべし。
(御書574頁)(文永九年二月 五十八歳 御述作)
日蓮の弟子檀那等よ、どのような諸難・困難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないと疑ってはならない。また現在が安穏ではないからといって、嘆いてはならない。
これらの事は常に我が弟子等に朝夕に教えてきたが、皆、疑いを起こして退転したのであろう。
拙い者の習いは、約束したことをまことの時に忘れてしまうのである。
*仏界にいたる:成仏の境界にいたること。
**天の加護:天とは、大梵天王・帝釈天王・大日天王などの諸天善神のこと。これらの善神は、法華経安楽行品第十四に、「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す」と説かれているように、法華経を行ずる者を必ず守護するのである。
***つたなき者:愚かな者。ここでは信心の弱い者のこと。
****ならひ(習い):習慣、世の常。
*****まことの時:肝心な時、重要な時。
