御聖訓 令和元年(2019年)7月

令和元年7月度 御報恩御講

立正安国論

汝須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思はゞ先ず四表の静謐(せいひつ)を禱(いの)るべきものか。就中(なかんずく)人の世に在(あ)るや各(おのおの)後生を恐る。是(ここ)を以(もっ)て或るは邪教を信じ、或は謗法を貴(たっと)ぶ。
各(おのおの)是非に迷ふことを悪(にく)むと雖(いえど)も、而(しか)も猶(なお)仏法に帰することを哀(かな)しむ。
何ぞ同じく信心の力を以て妄(みだ)りに邪義の詞(ことば)を崇(あが)めんや。

(御書249頁)

貴方は自分の一身の安全を考えるなら、まず第一に国家の安泰を祈るべきです。ましてや人々はこの世に存在している以上、未来の事が最も心配になるでしょう。故に、なんとか地獄に堕ちないように、極楽往生をしようと邪教を信じたり、また正法である法華経を誹謗する謗法を犯すのであります。このように正邪を分別せずに迷っていることは悪いけれども、しかし仏法に帰依しているのは殊勝であります。でも、同じ信心をして後生の安穏を祈るならばいたずらに邪法邪師の邪義を崇めてはいけない。むしろ捨てるべきである。

〇一身の安堵:現世安穏・後生善処という不安や恐れのない境界。
〇四表の静謐:四表とは東西南北の四方、転じて国をさす。静謐とは静かで穏やかなこと。
〇哀しむ:悲しみ、不憫に思うこと。「哀」という字には、殊勝・感慨深い・感心な様という意味がある。