令和元年5月度 御報恩御講
松野殿御返事
魚(うお)の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹(あんらじゅ)の花は多くさけども菓(このみ)になるは少なし。人も又此(か)くの如(ごと)し。
菩提心(ぼだいしん)を発(お)こす人は多けれども退(たい)せずして実(まこと)の道に入(い)る者は少なし。
都(すべ)て凡夫(ぼんぷ)の菩提心は多く悪縁(あくえん)にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧(よろい)を著(き)たる兵者(つわもの)は多けれども、戦(いくさ)に恐れをなさゞるは少なきが如し。
(御書1048~1049頁)
魚は一回に大量の卵を産むが、しかし、成魚になるものは少ない。菴羅樹の花は多く咲くが、果実になるものは少ない。人もまた同様である。
菩提心を発(おこ)す者は多いが、退転せずに成仏の道に入る者は少ない。総じて我等凡夫の菩提心は数多(あまた)の悪縁に紛動され、折に触れて、移りやすいものである。あたかも甲冑を装備した兵士は多くいても、戦に恐れをなさない兵士は少ないのと同じである。
*菴羅樹:マンゴー樹のことで、花は多くして果実は実に少ないことから、仏道成就の難しさを譬えるのに用いる。
**菩提心:悟りを求める心。求道心。爾前(にぜん)権経では煩悩(ぼんのう)を断じて菩提を得るとされたが、法華経では妙法の受持によって煩悩を断ずることなく菩提を得ると教える煩悩即菩提を説く。
***悪縁:悪い結果を引き起こす間接的な原因。大聖人の教えでは、悪縁に遭っても、それを機として信心修行に励むならば、変毒為薬して悪縁も善縁へと転換することが出来るとされている。
