平成31年2月度 御報恩御講
南条兵衛(ひょうえ)七郎殿御書
いかなる大善をつくり、法華経を千万部写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたき(敵)をだにもせめざれば得道ありがたし。
たとえば朝(ちょう)につか(使)ふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵(かたき)をし(知)りながら奏(そう)しもせず、私にもあだ(怨)まずば、奉公皆う(失)せて還(かえ)ってとが(咎)に行なはれんが如(ごと)し。当世の人々は謗法(ほうぼう)の者とし(知)ろしめすべし。
(御書322-323頁)
どのような大善をつくり、また法華経を一千万部書写し、さらに一念三千の観道を会得した人であっても、法華経の敵を責めなければ成仏はできない。
例えば、朝廷に仕える人が十年・二十年間と奉公したとしても、君主の敵を知りながら言上もせず、自らもその敵を責めなければ、今までの奉公の功績が全て消え失せ、むしろ知っていた分だけ、同罪人として処罰されるようなものである。
よって現在の人々は謗法の者であると知るべきである。
