平成31年1月度 御報恩御講
諸法実相抄
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第(しだい)に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是(これ)あに地涌(じゆ)の義に非(あら)ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的(まと)とするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給(たま)ふべし。
(文永10年5月17日 52歳 御述作(平成新編御書:666-667頁)
日蓮一人が初めは南無妙法蓮華経と唱えていたが、二人、三人、百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまた同様である。これこそまさに地涌の菩薩の意義である。それだけではなく、広宣流布の時には、日本中の人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは、大地を的として矢を射るように確実なことである。とにもかくにも、法華経の行者として名を立て、御本尊に身を任せていきなさい。
